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新千円札の裏側、北斎の絵を見に小布施に行ってみたい♪

ゼロ旅とは、「日々の喧騒から逃れて、自分を取り戻す旅。自然と触れ合い、人と出会い、リセットする旅」のことを言います。

長野県・小布施の『北斎館』で、2024年6月15日から8月18日まで「新紙幣発行記念 北斎進化論」という企画展をやっています。2024年7月3日に、渋沢栄一の1万円、津田梅子の5千円、北里芝三郎の千円の3券種が出ましたね。これに付随した企画展です。

野口米次郎 著『葛飾北斎』(六大浮世絵師決定版),誠文堂,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264935 (参照 2024-07-15)

90歳まで作品を発表し続けた北斎さん

新紙幣発行後、銀行のATMや買い物のお釣りなどで新紙幣が出てくることはまだなくて、
私は全く、新紙幣に馴染みはないんですが・・・。
新紙幣の千円札に葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川県沖浪裏」のデザインが採用されていることから、北斎がクローズアップされているようですね。この波の絵を目にする機会が増えています。

北斎といえば、20歳から90歳まで70年の間、画業に邁進して、己の絵を発展していこうという向上心の塊のような人。「画狂人」「画狂老人卍」などという画号を自分でつけるような人だから、凡人とはケタ外れに違うとは思いますが、そんな北斎の生き方に憧れて、北斎館を訪れる人も多いと思います。

私が前に「北斎館」に行った時に驚いたのは、

  • 90歳で亡くなるまで作品を発表し続けたこと(江戸時代の平均寿命は、おそらく30歳台。50歳を超えたのは昭和22年からというから相当な長寿)。
  • 生涯3万点もの作品を残したこと。
  • アクセス手段は徒歩か籠、馬。車なんてない時代、何日もかけて江戸から小布施まで、4回も行っていること(しかも高齢で!)

まあ、昔の人は、何百kmも歩いたり、何kgもの重い荷物を軽々と頭の上にのせて運んでいたり、今とは体の使い方も機能も違っていたんでしょう。

国立国会図書館は今はデジタルコレクションで閲覧できるものもあるので、「葛飾北斎」で検索すると、北斎の本が結構出てきます。江戸時代の古書や昭和になってからの書籍なども著作権の切れる70年が経過していて、貴重な書籍がインターネットでも閲覧ができます。いい時代になったものだなあ〜。

 

昭和初期の書物から、江戸の暮らしぶりを学ぶ

そうして北斎の足跡を辿っていたら、江戸時代の風景や人々の暮らしぶりになんだかほっこりしちゃったりして・・・。たとえばこれ。

野口米次郎 著『葛飾北斎』(六大浮世絵師決定版),誠文堂,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264935 (参照 2024-07-15)

 

遠州(静岡県)からの富士山の眺め。「富嶽百景」の1枚(1834)です。
風景画かと思いきや、松の木に登って枝を切っている人はまるで曲芸でもしているようじゃないですか。動きを強調して描いているということもありますが、当時の人の身体能力の高さを物語っているかのよう。

野口米次郎 著『葛飾北斎』(六大浮世絵師決定版),誠文堂,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264935 (参照 2024-07-15)

 

「飛越の堺(境?)のつりはし」と書かれたこちらの版画は1827年のもの。
飛騨と越後をつなぐつりはしのようですが、かつてはこんな木の蔓を編んだような吊り橋が各地にあったんでしょうね。吊り橋を渡る、藁のようなものを背負った人は、ものすごい大荷物です。
江戸時代の日本人はこんな大きな荷物を担いで行き来していたのですね。

野口米次郎 著『葛飾北斎』(六大浮世絵師決定版),誠文堂,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264935 (参照 2024-07-15)

身分の高そうなおしゃれした女性2人の旅風景。
聖地巡礼から家路につく道中のようです。
江戸時代に女性の旅が活発だったことがわかります。

野口米次郎 著『葛飾北斎』(六大浮世絵師決定版),誠文堂,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264935 (参照 2024-07-15)

こちらは「修善寺の晩鐘」と名付けられた、1790年の版画。
夕方になって仕事をスタートする芸妓さんを思われる女性の姿が描かれています。
「湯治場八景」と書かれていますから、当時の修善寺は「湯治場」という位置付けながら、芸妓さんがいる温泉だったのですね。

英文で「Well-known Hot-bath Resort」と説明書きがありますので、この当時から修善寺温泉は有名な温泉地だったのでしょう。

資料は全て、野口米次郎 著『葛飾北斎』(六大浮世絵師決定版),誠文堂,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264935 (参照 2024-07-15)より掲載しています。