ゼロ旅とは、「日々の喧騒から逃れて、自分を取り戻す旅。自然と触れ合い、人と出会い、リセットする旅」のことを言います。
川浦温泉には信玄が命じた文書が残っています
戦国の武将、武田信玄は「甲斐の虎」をいわれ、武田家が終焉を迎えた甲州には、数々のドラマが残っています。
武田家ゆかりのお寺には歴史を伝える風林火山の旗や家督の印の入った鎧など、数々のお宝も。
そして、信玄は温泉とのつながりも深いのです。戦いには刀傷やすり傷はつきもの。
山梨には戦の傷を癒した「信玄公の隠し湯」が数々あります。
下部温泉、湯村温泉、積翠寺温泉、岩下温泉、増富温泉、長野の「渋温泉」・・・。
なかでも川浦温泉は、信玄公が温泉を開発せよと、部下に命じた文書が残っている唯一の温泉。
部下である武田二十四将の一人、山縣三郎右衛門尉昌景という人物が「山県館」の先祖で、昌景の鎧兜も残っている由緒正しきお宿です。
武田軍が傷を癒し、戦略を練った歴史の湯が、今も混浴風呂の姿で残っています。